第漆章/無明長夜


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「う……ン……」

 楓呼は輸送ヘリの中で目を覚ました。

 バタバタと風を切る回転翼の音がうるさい。分厚い窓の外で景色はめまぐるしく移ろい、ヘリは何かに追われるように街から離れていく。

「こ、ここは……?」

「やめなさい!」

「?!」

 意識が戻りかけているところに大声を出され、楓呼は一気に目が覚めた。

 見ればこちらに突撃銃の銃口を向けた兵士が二人、それからなぜか保健の先生が彼らに命令している。

「彼女は安全よ。銃をおろして」

「………。申し訳ありません」

 兵士たちは謝罪して前の座席へと戻った。

 楓呼は仰向けに寝そべったままそれを見送り、次に鉄の梁(はり)が並ぶ天井を見上げて思考の回復を待った。

 まだ頭が朦朧としている。これは夢の続きなのだろうか。

「ごめんなさいね。………えーと、どこから説明したらいいものやら。とにかく私たちは安全な場所に向かってるから、安心して」

「はあ……」

 楓呼は生返事を返す。

 ヘリの中は自分が想像していたよりもずいぶん広かった。こんなに広いのに、乗っているのは自分を含めて四人だけだ。いや、そもそもどうしてヘリなんかに乗っているのだろう。

 楓呼は思い出そうとして───すぐに思い出した。

 この保健の先生は先生じゃなくて自衛隊の人だ。大熊先生も自衛隊の人。そしてオックンはその人たちの中で一番偉い人だった。あの黒卵(もや)の中から見てたから知ってる。

 ───そうだ。わたしは何かとてつもなく大きくて黒いものを宿されそうになって、兄貴 が助けてくれて、それで目が覚めたら、ここにいた。

「あ、兄貴は……?」

 楓呼は慌てて訊ねる。

「京平君……? 京平君なら後から来るわよ」

 保健医は平然として答えた。

 うそだ。兄貴はまだあそこにいる。楓呼は直感的にそれが分かった。

「だから少し眠って───って、あ、こら!」

 楓呼は飛び起きると、前の座席にいた兵士を振り切ってパイロットの所まで走った。

「戻って!」

「な、何を言ってるんだ君はっ?!」

「いいから戻って!」

「そんなことができるわけがないだろう! 美作二尉、何とかしてください!」

 パイロットとの押し問答は長くは続かなかった。通信機が鳴ったからだ。

「は、一佐。………はい、安全空域までは───」

「貸して!」

 楓呼は有無を言わせずパイロットからヘッドセットを奪い取った。

「オックン! オックンなんでしょ?!」

〈………楓呼さん? やあ、お目覚めですか。美女の寝姿を拝観できなかったとは、至極残念に思いますぞ〉

「馬鹿なこと言ってないで! そこは危ないんだよっ! その闇はわたしがいないと、暴走して、増えすぎて、えと、だから………ああっ、もうっ、とにかく危ないのっ!」

〈分かっておりますよ、楓呼さん〉

 実隆の声は至極落ち着いていた。

〈ご安心下さい。楓呼さんや町の人たちは全員避難させました。もう安全です〉

「そんなこと訊いてない! そこにいたら死んじゃうんだよっ、分かってるの?!」

〈分かっておりますとも〉

 その穏やかな口調は決して揺るがないものだった。彼はもとよりその場から離れる気はないのだ。

「やだよ……。オックン、死んじゃいやだよっ……」

〈……………。ありがとうございます。こんな私を気に掛けてくださって〉

「当たり前だよ、友達でしょ……?」

 優しい沈黙が少し。

 そのあと、

〈生きてください。私たちの分も〉

「オック───」

 通信は一方的に切られた。

「……………。なんで……何でよ……。おかしいよっ……こんなの……っ」

 楓呼はその場にくずおれた。抱きしめた通信機は、もう雑音しか聞こえない。




       †   †   †




 もう雑音しか聞こえない通信機。実隆はそれを通信担当官に返した。

 周りには指揮を担当する士官たちが、宙に浮かぶ黒卵を見守っている。実隆はその内のひとり、すぐ隣に立つ側近に声を掛けた。

「………すみませんね。結局ここまで付き合わせることになってしまいました」

「お気になさらず。………それに、生徒が残っているのに教師が避難するというのは、おかしいぞ、奥山」

 太い笑みを返す権佐に、実隆は微苦笑を漏らした。

 それから、夜気に冷えた右手を掲げる。

「総攻撃、用意」

 号令に合わせ、黒卵を囲む戦闘ヘリが空中で静止する。

 索敵───完了。

 照準───完了。

 あとは『発射』の命令で、計二百sの仏典灰を積んだ誘導弾が射出される。

 掲げた右手は、よどみなく振り下ろされた。

「発射」

 全戦闘ヘリのパイロットがトリガーに掛けた指を引く。その刹那の前。

 異変が起きた。異変と言うにはあまりにもあからさまな変化が起きた。

 ぴしりという卵がひび割れるような音と共に、楕円の黒球を長い亀裂が走り抜けた。

 一本の亀裂は微細に枝分かれしながら広がって、中身を徐々に明らかにしていく。

「あれは……!」

 権佐は絶句し、実隆はつぶやいた。

「………卵が孵る」

 誰も間に合わなかった。







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