第漆章/無明長夜
1
県立鳴北高等学校。生徒の学舎たるそこは、まごうことなき戦場と化していた。
武装ヘリが校庭の砂を巻き上げ、戦車が金網を押しつぶし、輸送装甲車が校長の銅像をなぎ倒す。
それを皮切りに、耳をろうする近代兵器の数々が化物共を包囲していった。
驚いているヒマなどありはしない。あまりにも迅速な掃討戦に、京平はただただ唖然とするほかなかった。
武装ヘリに備え付けられたスピーカーが、虚空に甲高いハウリングを反響させる。
〈はーっはっはぁっ! 親友のピンチに馳せ参じましたぞぉっ、マァァァァァァァァイ、フレェェェェェェェェェェェンドっ!!〉
まばゆい白光と砂風に顔をかばいながら、京平はその声を聞いた。
「………み、実隆?」
馬鹿な。だが今聞いたのは、十年来の幼なじみの声だ。
呵々大笑を上げる武装ヘリは、京平たちの真上をホバリングして、殺到する鬼共へ大口径の機関砲を掃射した。
全軍で突進していた鬼共が急に止まれるはずもない。最大の武器である機動性を封じられた化物などただの的にすぎなかった。
先行する洩光弾が前列の鬼共を蜂の巣にする。火だるまになってのたうち回る勇気ある、または我欲の強かった鬼共。二列目は射角調整して発射された白んだ弾丸に被弾して塩の柱になった。
〈どぅおです?! 旧大陸生まれのあなた達にはよく効くでしょう! インドのミナークシー寺院から特別にお借りした原始仏典を“燃やして灰にして”作った対鬼畜フランジブル特殊弾頭弾ですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!〉
ややエレクトした説明と共にスピーカーがハウリングする。それを回転翼の乱気流が押し流した。
あのイカレた口調は間違えようもない。
「………ヤツだよ」
京平は額に手を当ててうめいた。
赤外線誘導弾、機関砲に続いて、小型の高速有翼弾が計三八発、ヘリの両翼に装備した筒状のポッドから連続射出された。
街灯のポールほどもある弾頭が鬼共の胴体をまとめて貫き、一瞬遅れて爆裂四散。爆炎が無明長夜に舞い上がる。濛々と立ち込める火薬の酸臭が鼻をついた。
巨大な影とサーチライトの白光に追い回され、鬼共は我先にと学校の外へと逃げ出していく。
だが、敷地をぐるりと取り囲む装甲車が許可しない。
一二の砲塔が同調して向きを変え、二四の銃口が絶え間なく火を吹いた。鉛の雨が逃げ道をふさぐ。
退路を失った鬼共が混乱し始めたところで、輸送装甲車の後門が開いた。そこからわらわらと突撃銃を構えた兵士が飛び出してくる。
身体能力において劣る彼らは互いに援護しあいながら、じつに統制の取れた動きで鬼共を追い込んでいく。
「これが………八局?」
よもや京平のつぶやきが聞こえているわけではあるまいが、
〈そぅおです! 幽界から人界を防衛する最後の砦! それが我々国家公安委員会直属宗教的職能局通称八局なのですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!〉
スピーカーから間髪入れずに返事がかえってきた。
八局の勝利はほぼ確実だった。すでに敵の半数以上が戦闘不能となっており、錯乱した軍勢は戦列を整えることすらままならない状態だ。
そして、戦いは次なる展開を向かえようとしていた。
本隊から別れた数人の兵士が発煙筒を振り、ヘリを迎え入れる着陸地点を確保している。しかし当の武装ヘリたちは縦横無尽に飛び回って鬼共を掃討している最中だ。
思っていると、暗雲をくぐるように大型の輸送ヘリがやってきた。
二基の回転翼で浮揚する輸送ヘリは、着地点を目前に、一つの荷を落とした。
巨大な投下物は自重で風を薙ぎながら───着地。地面にいびつが刻まれる。
それは黒光りする人間、少なくとも人型には見える物体だった。
「なんだあれ……」
京平はそれの正体が気になったが、見物はそこで一時中断となった。十数匹の鬼が押し寄せてくる。あの火線を生き残り、動けない二人を人質に取りにきたのだ。
「ちぃっ……!」
応戦しようにも体力が回復してない。粗雑な剣や金棒を振り回す鬼共が眼前にせまる。
その時、モーター音が幾重にもかさなる駆動音がした。何かが高速で回転するようなその音はみるみる甲走っていき───着弾。
先頭の鬼が髪でも引っ掴まれたかのように頭をのけぞらせ、真っ白な塩になり、倒れ、崩れ、その衝撃で地面の上に拡がった。
人型の物体を見やれば、腰溜めに構えた機関砲が爆轟のごとく烈火を噴いている。六つの鉄棒を束ねたようなそれは、ヘリに装備されていたものと同型の物だ。
弾光が横薙ぎに一閃したときには、群れた鬼共は、塩の柱となってそこに陳列していた。
硝煙をくゆらせる機関砲を肩にかつぎ、人型の物体は重く土を踏みしめながらこちらへやってくる。よくよく見ればそれは群青色にカラーリングされた装甲服で、重厚なヘルメットからのぞく顔は人間のものだった。
いや、そんなことよりも───、
「あー、永禮ー」
間延びした低音を発するこの男は自分のクラスの担任教師ではないのか。
「五時方向ー、二〇〇先まで走れるか?」
「ご、五時方向?」
混乱する頭で聞き返すと、その人型の物体───大熊権佐はヘルメットをボリボリと掻いた。
「ああ、すまん、分からんなー。………あっちだ」
指差された方向には、白いテントが立っていた。屋根に赤十字が描かれており、その周囲には輸送ヘリから降ろされた様々な機材が置かれていた。どうやらあそこで傷の手当てを受けろと言っているらしい。
いや、だから、そんなことよりもだ。
「(何でアンタがここにいるんだ……)」
「永禮」
やんわりと権佐元教諭はさえぎった。同時に機械の身体を器用に操り、飛びかかってきた目一つ鬼を後ろ回し蹴りで返り討ちにする。
「話はあとだ。走れー」
「お、押忍!」
援護射撃。活路が開く。
京平は哀を抱えて、戦場のど真ん中を突っ切る。今の数分で脚力は復活したようだ。
「じ、自分で歩ける……から……」
「何いまさら遠慮してんだよ、ほら揺れるぞ」
弱々しく暴れる彼女を抱えなおし、途中何匹かの鬼を踏み越え、京平はなんとかテントに辿り着いた。
護衛の兵士に導かれ、カーテン状の白布をくぐると、そこにはまたもや見知った顔があった。
「ハァイ、京平君。元気してた?」
「ぶっ?!」
「ちょっとぉ。人の顔見て吹き出さないでよ、失礼ね」
白衣を羽織った自衛官が、注射器片手に憤慨する。
「いや、だって、夕紀先生が、なんで……?」
そう、今まさに目の前にいる女性は、あの不真面目な保健医、美作夕紀その人だった。
「話はあと。そっちの彼女をここまで運んでくれる?」
「え? あ、はい」
哀を寝台に寝かせると、夕紀先生はぐいぐいと外へ押しやってきた。
「ち、ちょっ」
「はいはい、京平君。これから緊急手術だから外に出てって。ね?」
「し、手術って?!」
「大丈夫よ。ちょっと輸血して、何十針か縫うだけだから」
「何十針って、そんな……」
「あら、腕がいいから縫合痕なんて残さないわよ。それともなに? 京平君は彼女の裸を見たいのかしら?」
「……………。見たいッス」
「出てけ」
パンプスのカカトでテントから蹴り出された京平は、痛む腰をさすりながらサーチライトの白光を眺めて時間をつぶした。
結局、鬼の殲滅戦は10分と経たずに完了してしまった。終わってみればその戦果は十全たるものだった。味方には死人どころか負傷者すら出ていない。たいした用兵術である。この作戦を指揮した人間は相当優秀な人物のようだ。
京平が心中で感想を述べたとき、武装ヘリが二機を残して次々と着陸を始めた。消費した弾薬や燃料を補給するためだろう。
最後に降りてきた一機の前に、兵士が並んで敬礼した。先程スピーカーでエレクトしていた司令官のお出ましだ。
悠然と降りてきた人影は、思った通り、実隆だった。
ぱりっとした新品の将校服を着て部下を引き連れるその姿は、どうにも違和感ありまくりなのだが、妙に似合っているのが気味悪い。
「やはやは、京平殿。危ないところでしたな」
軽薄な笑顔で実隆は片手を上げた。
「実隆っ、お前っ───!」
「ストップ」
まっすぐこちらに向けられた手の平が、疑問の言葉を遮る。
「積もる話も、聞きたいことも、あるとは思いますが、今は時間がありません。なにも訊かずに説明を受けてください」
実隆は銀縁の眼鏡を押し上げて、事はまだ終わっていないことを告げた。
「現在、我々の破壊目標である阿防羅刹鬼がこの高台の直上に、つまりあそこに集まりつつあるのです」
彼が指差した先、かつて校舎があった遙か天上に、靄(もや)のようなものが渦巻いていた。靄は澱んだ大気と入り混じって、不気味な色味を醸し出している。
「あの靄は昨日の夜に観測されてから、この数時間で直径五百メートルの大きさにまで成長しました。本来あれは物理的に干渉できるような対象ではなく、人界と幽界の深層とをつなぐ扉のようなものと仮定できます」
怜悧な口調で説明をする実隆は、自分が見知っている人物とは別人のようだった。だが今はそんなことを考えていられる状況ではない。京平は聞きたいことを頭の隅へ追いやった。
「おそらく楓呼さんはあの靄を通った先に囚われているはずです。………文献によれば、羅刹鬼を胎内に宿した楓呼さんが人界に降りてくるのを待ってから───」
「哀が殺すって言うんだろ。そんなことにはならねェし、させねェよ」
「他に手立てがなかったとしてもですか?」
「あるさ。いつだって何もできないことなんてない。できることは必ずある」
「………そう、でしたな」
ごく当たり前の意見に、実隆が珍しく鼻白んだ。しかしすぐにその気後れは消える。
「ええ。我々もただ手をこまねいていたわけではありません。事態は逼迫していますが決して絶望的ではない。当然対羅刹鬼の戦術も考案済みです。───大熊一尉」
部下に機材設置の指示を出していた権佐が、装甲服を駆動させて滑走してきた。よくは知らないが、ああいう装備はどこの国でもまだ研究段階のはずでは……。
そんなことを気にしているのは京平だけのようだった。当然のように権佐はやってきて、当然のように敬礼した。
「お呼びですか、一佐」
「彼に作戦の説明をお願いします。なるべく手短に」
『了解』と権佐は答えた。そのやり取りに、京平はいまだ違和感を覚えずにはいられない。
「作戦はいたって単純だ、永禮。我々特隊が現在保有している原始仏典灰の総量は約二〇〇s。これすべてをヘリの誘導弾に装填し、あの靄に叩き込む」
「もちろん楓呼さんを助け出したあとで」
京平が反駁する前に実隆が付け足した。権佐がそのあとを引き継ぐ。
「だが降臨の途中で“憑坐”を失えば、羅刹鬼は十中八九暴走するだろう。その規模については想像もできんが、少なくともこの街が跡形もなく消し飛ぶのは間違いない。どうすればそうさせないで済むか。分かるか、永禮」
まるで数学の問題でも出すかのように彼は言った。
楓呼を助け出さなければ羅刹鬼が降臨してしまう。かといって助け出せば羅刹鬼は暴走し、街は消滅する。楓呼を助け、かつ暴走させないには───、
「………暴走する前に倒す?」
「正解だ」
「でも、どうやって……」
「まあ聞け。つまるところはこうだ。まずは幽界から永禮楓呼を助け出し、こちらへと帰還する。幽界内にいる間ならば、暴走もまだ起きまい。重要なのはタイミングだ。幽界を脱出したと同時に、仏典灰を搭載した誘導弾による一斉攻撃で門となっている靄を破壊すればいい。門を閉じてしまえば、仮に暴走したとしても被害はこちらに及ばない。どうだ、簡単だろう?」
「………マジで簡単な作戦スね」
京平は嘆息した。
「簡単な方が失敗も少ないというものだ」
権佐が太い笑みで答える。
「本格的な降臨が始まるまであと二時間もないだろう。助けに行くにしても制限時間はそれだけということだ。───先に言っておくが、我々は幽界に行く技術を保有していない」
「俺なら行けます」
京平の即答に、今度は実隆が嘆息した。
「京平殿の性格上、止めたところで無駄なのは分かっておりましたが、一つだけ覚悟しておいてください」
「二時間経って戻らなければ、こちら側から靄を破壊する。微塵も、跡形もなくだ」
権佐の非情な宣告に、京平は沈黙した。
「これは、あくまでも楓呼さんがまだ羅刹鬼を宿していないという仮定条件を前提にした作戦です。もし違っていれば二時間と経たずに羅刹鬼は降臨しますし、楓呼さんを助け出しても靄の破壊に失敗すれば、行き場のないエネルギーは人界で暴発することになります。分の悪い賭けだということは理解しておいて下さい」
京平はしばらく押し黙っていたが、やがて答えを出した。
「やれるさ。もう決めたことだ。分が悪いならイカサマしてでも勝ってみせる」
ふむ、と実隆はうなずいた。
「話は決まりましたな。では鬼遣殿の治療が済みしだい、出発してください」
決行は決定された。あとはその意志さえあれば事足りる。
「治療なら、もう終わった……」
澄んだ声が後ろから掛かった。
「哀? もういいのか?」
「ええ……」
答えた哀の首には、チョーカーではなく包帯が巻かれていた。
「いいわけないでしょ。モルヒネ打ったばっかりで足下はフラフラしてるし、傷は縫ったことは縫ったけど、無茶をすればまた開くわ」
追いかけてきた夕紀が答える。
「でもいくんでしょ? 医者としてはあるまじき行為だけど、止めないでおいてあげる」
片目を閉じる夕紀に、哀は軽く頭を下げた。
「あらぁ、愛嬌出てきたじゃない。最初に会ったときはお面(めん)みたいな顔してたのにねー」
意味ありげな視線を送ってくる夕紀先生に、京平はたじろいだ。
「な、なんスか」
「んー、べつにー。京平君もなかなか手が早いな、と思って」
「ななっ、俺は別に何も……!」
「うそっ、京平君まさか不能?! よく効くおクスリあげようか?」
「なに言ってんですか!」
赤面すると、夕紀先生はからからと笑った。こんなやり取りは毎日あったことなのに、ずいぶんと懐かしく感じた。
「時間が惜しい。行きましょう……」
哀も事情を知っているようだ。治療中に説明を受けたのだろう。あるいは彼女が説明したのかも知れないが。
「そんじゃま、いってきます」
京平が全感覚───さらには第六感まで統一すると、空間が波打ち、墨が滲むように彩度のない竅が開いた。
異能の力に関する知識は、あの大鎧を纏ったときに余すところなく復活していた。間違いなくこの竅はあの靄に直結している。
京平が半身を入り口に通したとき、
「永禮」
権佐が声を掛けてきた。
「お前がこれから行くのは、鬼共の王のふところだ。心してかかれ」
試合で部員に活を入れるとき同様の口調で彼は言った。やはりそれも少し前まで日常で聞いていたことなのに、ひどく懐かしかった。
「押忍。隙がありゃ、前歯の一つでもへし折ってやりますよ」
「その意気だ」
はなむけを背に受けて京平は波紋の向こうへと消えた。
「…………」
哀は無言で入り口をくぐる。もとより話す相手などいない。
だが実隆らに一瞥をくれたとき、目で礼を述べていた。意味は『黙っていてくれて、ありがとう』だろう。
竅は徐々に小さくなり、消えた。波打っていた空間が正常に戻る。
あとは待つだけだ。二時間。それはこちらが攻撃の準備を整えるのには十分な、だが三人が無事帰ってくるには短すぎる猶予。
静かだった。ヘリのエンジン音や機材を運ぶ隊員たちの雑踏が消えたわけではないのだが、それらを架空のものにしてしまう奇妙な静けさだった。正しくは、無言なのだろう。
「………やはり、彼女は」
「やるでしょうね、間違いなく」
夕紀がつぶやき終える前に実隆が答えた。
「彼女は選択しません。おのが運命を変えることはできない。それを誰よりも識(し)っている」
「なら、どうして行かせたのですか? あなたはそこまで冷徹になれる人ではないはずです」
「褒め言葉と受け取っておきますよ」
実隆は苦笑して銀縁の眼鏡を押し上げた。
「ただ、ひとつ。ひとつだけ彼女の運命を変えられるものがあるとすれば、おそらくそれは───……」
やはり言葉になるようなものではなかったのだろう。実隆はかぶりを振った。
「少なくとも彼女はもう孤独(ひとり)ではない。それだけは確かです」
竅の消えてしまった寂寞の向こうを、彼らはいつまでも見つめていた。