第陸章/蒼茫の傷痕、澱む流砂
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曳々と落ちてくる風切りの音。斑模様の神剣は切っ先を大地に深く沈ませ、金属の甲声をあげた。
訶利帝母の姿は見あたらない。咆雷を司りし霹靂神(はたたがみ)は、肉片の一つでさえも鬼女が存在することを厭んだようだ。
「やったのか……?」
京平は再生したばかりの手足を引きずって哀のもとに辿り着くと、そのすぐ隣に腰掛けた。
「多分……。万一、生き延びたとしても……っ……相当の深手を負ったはず。数百年は大人しくしていると思う……」
京平は哀に手を貸し、傷だらけの半身を起こしてやる。手には相変わらず銀の鱗が生えていたが、ものものしい篭手ではなくなっていた。
空五倍子色の大鎧はすっかり剥がれ落ちて、京平は前と同じ鬼もどきに戻っていた。
濁った天上では依然ぬばたまの闇が蠢いている。それは巨大化したあの靄(もや)だった。夜の色に溶け込んだ靄は、今やどの人工建造物をもしのぐ巨大な物体へと成長を遂げていた。
胎動するそれは容易に羅刹鬼だと知れた。そしてあの中に楓呼が捕らえられていることも。
「あとは、楓呼を助けてやらなきゃな」
京平が気楽に声をかけると、哀は目を伏せていた。
「…………。……京平…………私は…………」
哀が何かを言いかけた時だった。囂々と唸っていた風音がやんだ。
訶利帝母が死んだことで漆黒の竜巻が効力を失ったのだ。高台をおおっていた風の城壁が消え去っていく。
「「…………!」」
その向こうの景色に二人は目をみはり、それから不機嫌にこぼした。
「………あいつらのことを忘れてたな」
「首魁を取ったところで、鬼共が跳梁をやめる由もない……」
漆黒が晴れた先には、闇に揺れうごめく無数の影。
そこには五百をこえる鬼が待ち構えていた。各々の持つ得物と眼光だけが、暗闇にくっきりと浮かび上がる。
古人が語り継いだ鬼哭啾々などという愁いはなく、我欲をむさぼるだけの下種共が、学校をぐるりと取り囲んでいた。
「一難去ってまた一難か?」
京平は金属の指骨を小気味よく鳴らした。
「前門の虎、後門の狼とも……」
哀は緋蓮の刀を引き抜いて構えた。
「ま。やるだけやってみるか」
「いいえ。絶対に生き残りましょう」
哀の意外な言葉を聞き、京平はそれこそ『意外だ』といった顔をした。だがすぐに満足げにうなずいて、
「そうだな。生き残ろう、絶対に」
地響きを上げて押し寄せる大群を、真っ向から睨みつけた。
背中合わせに、二人だけの陣を組む。敵の包囲は直径をどんどんせばめ、あと百メートルというところまで迫った。
五百をこえる鬼相手に半死人が二人。勝つ確率は万に一つもないだろう。
敵軍との接触まで、あと七〇メートル。あと六〇メートル。あと五〇───
その場にいた誰もが、千軍の足音に紛れた“音”に気付いていなかった。
風を千切ってまた新たな風を作る回転翼の音。
獣のように獰猛なうなりを発する発動機の音。
そして雪崩を打って到来する誘導弾の音。
誰もがその“音”に気付いていなかった。
赤外線誘導型ミサイルが、尾翼で微細な軌道修正をしつつ直進。無煙の熱を排出しながら敵軍の正面に直撃した。
つまり京平たちの居る数十メートルというすぐ手前で爆裂した。
先頭の鬼共が、炸薬の爆熱で粉々になる。
鬼より劣る人間が造り上げた鋼鉄の鳥たちが、腹一杯に積載した武装を一斉に展開する。
盛大な爆発。
正確無比な銃撃。
地表を滑る真円の白光。
否応ない強襲に、鬼共は蜘蛛の子を散らすかのごとく散り散りになって逃げていく。
爆音の太神楽のさなか、救いの神にしてはやけに武骨な天上人たちが、空から降下を始めていた。
第漆章 【無明長夜】へ続く───