第陸章/蒼茫の傷痕、澱む流砂
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街は暗雲に閉ざされていた。
高台の古寺から拡がる景色は異界に侵蝕され、人界(うつしよ)と幽界(かくりよ)の位相が狂い始めているのは明白だった。
汚染された気流は亡者のように噎(むせ)び泣き、大地は何かに怯えるように響動(どよ)めいている。
灰色の空は頻繁に稲光り、雷鳴と共に幽界の瘴気を運んでくる。放っておけば、体力のない者から死んでいくだろう。
もう間に合わないかも知れない。
いや、それを言うなら、自分がこの街に来た時点で。憑坐を敵に奪われた時点で。降臨の場所を見つけられなかった時点で。
どの瞬間も遅すぎた。
だが───引き戸は閉じられた。
「………さようなら」
少年に最後の別れを告げ、少女は暗雲が蜷局を巻く闇の街へと消えていく。
“そのとき”は近い。
† † †
「う……」
陰鬱な息苦しさに邪魔され、京平は目を覚ました。
空気が異様に乾いていた。湿度は低いのに生暖かい。なぜかそれは不可思議な昂揚を誘う。
二度目の目覚めの後も、京平の腕はやはり金属質なままだった。
どこまでも凶々しく攻撃的なこの腕は、彼女を抱いた。
柔らかな感触はまだ両腕に残っている。心地よい時間はゆるやかに流れ、そうして微睡みに沈んで、目が覚めたとき───彼女はいなかった。
沫雨(うたかた)の夢のように彼女は消え、京平だけが閨(ねや)に残されていた。
「哀っ!」
京平は慌てて身を起こす。そばにあった彼女のショルダーバッグからは、ほとんどの装備が持ち出されていた。刀、弓、咒符、苦無、手裏剣。とにかくそういったもの全部だ。
「……っ」
立ち上がろうとして、枕元でかさりと紙が動いた。それはノートを破いたものを丁寧に折りたたんだ手紙だった。
京平はそれを取り、読み───うめいた。
「あの、馬鹿……っ!」
学ランをひっつかみ、京平は闇の街へと飛び出していった。