第弐章/黒の南風、来る暗闇


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 SHR前の休み時間・二年三組の教室にて、京平は困り果てていた。

 あれこれ(ウソの)事情を説明するも、ふくれっ面の妹にはその効果は薄いようだ。

「だからぁ、悪かったって。いい加減キゲン直せよな」

「………ふんっ」

 楓呼はすこぶる機嫌が悪い。たかが一日置いて行かれたぐらいでそこまで腹を立てることもあるまいに。

「朝練行ってたんだからしょうがないだろう?」

 杏とはすでに口裏を合わせ済みである。

「なっ、杏。そうだよなっ」

「はー。そうですねー。せんパイはちゃんとー、来てました?」

「………なんで発音が疑問形なんだよ」

「ああ、いえいえ、せんパイにそう言えって命令されたワケじゃないですよ。ホントッスよ。せんパイは、朝練に………え〜と、来てましたね、はい」

 わざとしか思えないほど白々しく説明する杏。朝練をサボり続けたツケがこんなところでアダとなるとはっ。

「ほ、ほら。杏もそう言ってるだろ」

 ひたいに脂汗がにじむのを感じながら、京平は言い繕う。

「………ウソくさい」

 うろんな目でつぶやく妹に、汗の量が20%アップする。

「そ、そんなことねェって。───そ、そうだ! 今日のメシ当番俺が代わってやるよ、な?」

「………兄貴のご飯おいしくないから、いい」

「ぐっ。確かにウマいとは言わんが……」

 昨日の晩、帰りが遅くなったことや、今朝早くに家を出た理由を聞かれなかったのは有難かったが、これではとりつく島もない。

 京平が考えあぐねていると、楓呼の方からぽつりとつぶやきが上がった。

「………一緒に────────なら、いいよ」

「え?」

「今日、一緒に帰ってくれるなら、許してあげる」

「なっ……?!」

 自分の顔がみるみる紅潮していくのが分かった。この阿呆は教室でなんと小っ恥ずかしいことをぬかすのだ。

「兄貴、最近あんまり構ってくれないんだもん。楓呼のこと嫌いになったの……?」

「ば、バカ。そんなわけないだろ」

 不安げに見上げてくる妹に焦っている間も、後ろから五寸釘のように突き刺さる男共の殺気と──なぜか杏の視線が背中に痛い。

「じゃあ、いいの……?」

「……………。分かったよ。そんな目で見るな。部活が終わるまで待ってくれれば一緒に帰る」

「本当? やったぁ」

 現金な───そして十五にもなって父兄と家に帰りたがる妹の幼稚な精神が心配になり、京平は長嘆息(ちょうたんそく)した。

 と、そこでひとつ気づいた。

「あれ?」

 こんな時、一番に飛んできそうな男が来ない。『ええい、このっ。シスコン野郎にもほどがありますぞ京平殿! いい加減に妹離れするのです! そして楓呼さんをわたくしの女王様に戴かせてくだされっ!』とか言ってフライングボディアタックでもかましてきそうなものだが。

「実隆がいねェな。休みか?」

「オックン? オックンなら道端で黒コゲになって寝てたよ」

「……………。……あー……」

 しまった。あのまま放置しっぱなしだったらしい。まさか死んではいないだろうが。

 そこで休み時間が終わる。合成音の鐘声が、短い休憩の終了を告げた。

「あ。あのさ兄貴、学校終わったら体育館の中で待っててもいいかな」

「そうだな、雨も降ってきてるし。いいか、杏?」

「………はい。見学ということにすれば問題はないと思います」

「だ、そうだ」

「わ。ありがとう九円さん」

「いいえ」

 微笑む杏の表情が硬いのは気のせいだろうか。まあ、ほとんど話したことがない相手だ。無理からぬ事なのかもしれない。

「じゃ、またね、兄貴っ」

「では、放課後に………」

 機嫌を直した楓呼と杏を見送って、入れ違いに権佐教諭が入ってくる。

「ぅおーい、席着けー」

 何事もなくSHRが始まる。権佐が名簿を見ながら出席を取る間、京平だけがひとり生徒が足りないことを訝っていた。実隆ではない。哀のことだ。

 体育館の裏で別れた後、てっきり教室に戻ってきているものと思い込んでいたのだが、彼女はいっこうに姿を見せない。一時間目が過ぎても、二時間目が過ぎても、哀は現れようとしなかった。

 もとより人を遠ざける空気をまとっている彼女だ。彼女ひとりがいないところで、クラスの雰囲気が変わることはない。

 たった一日しかいなかった転校生のことを気に留める者などいるはずもない。

 それが、寂しかった。

 窓際の席から見上げる空はいつの間にか雲で覆われていた。銀糸のように細い雨が濡れた地面で跳ね、淡い霧を生んでいる。

 白雨は蕭々(しょうしょう)と降り続き、きっとまた今日もできるであろう死屍を洗い流す。

 腐った血肉を昇華させる清浄なる雨。この雨は彼女が降らせたものなのだろうか。

 ───ずっと考えていた。彼女が鬼と闘う理由。なぜ自分が鬼なのか。

 どちらもわからない。考えてわかる答えなど最初から知っているのと同じだ。

 もういいじゃないか。彼女は俺の敵にはならないと言ってくれた。十分じゃないか。俺が人に危害を加えることなどあり得ない。

 悩む必要はない。彼女は幻だった。だから、考えるのはよそう。



 雨は降り続ける。



 海神哀という少女が教室を訪れることはなかった。



 ───二度となかった。







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